昔PC雑誌
【 Bug太郎論 】
●思入れ
ベーマガ誌上に、N-BASICブームを起こした原因であり、その後、他機種でも数多くの気合が入った
投稿を生む原因となった「N-TYPE」。
実際には、後発のオリジナルである「GIVERS」や「Full-Fire」の方が、技術的には優れていると
思いますが、インパクトという面で、ベーマガ史上、「N-TYPE」に勝るゲームは、無いと思います。
その作品は、私にゲーム作りの才能は無いと思わせました。
実際、完全に一度、プログラミングの世界から足を洗うきっかけとなりました。
実機当時、打込んだのは「N-TYPE」1本だけでした。
ただ、打込みはしなかったものの、ベーマガを見て、凄いゲームだなぁ〜と感心していました。
そして、現在、インターネットの普及、エミュレータの登場によって、彼の作品をHさんのところから
ダウンロードさせて頂いて遊ぶ事が出来るようになりました。
考えてみれば10年前、自分には想像出来なかったことでした。
Hさんのところに無い、残りのベーマガ発表ゲームを今更ながら打込む事で、当時、彼が発表していた
作品を10年以上に年月を経てようやく全て遊ぶ事が出来ました。
でも、個人的には、やっぱり「N-TYPE」が一番好きな気がしました。思入れ度の違いだと思いますが。
彼の連載が終わって何年か後のベーマガのOFコーナーに、彼の復活を熱望する投稿がある等、
87年〜90年位のベーマガ読者であれば、誰もが知っていると言って過言ではないBug太郎さんを
追求した論文?です。
●Bug太郎さんって?
ベーマガ93'01月号及び93'04月号より主に抜粋。
本名、谷裕紀彦さん。1969年12月01日富山県生まれ。
中学2年生の頃からプログラミングを開始する。
高校から専門学校在学中にかけてベーマガに投稿を行う。
そして、フロム・Aの求人広告を見て、ウルフ・チームに就職。
その後、GAUエンターテインメント(他にも?)を経て、現在、「ネクステック」の取締役。
●発表作品
彼が発表した作品一覧表です。
現在、私が把握している作品ですが、抜けがありましたら、教えて貰えると助かります。
〇ベーマガ掲載作品
機種 |
掲載号 |
ゲーム名 |
PC-8001 |
1987年10月号 |
DRAGON’N’SPIRIT |
PC-8801(V2) |
1987年11月号 |
Deos |
PC-8001 |
1988年01月号 |
Deos−II |
PC-8001 |
1988年04月号 |
N−TYPE |
PC-8801 |
1988年05月号 |
デカキャラ・ズンズン・システム |
PC-8001 |
1988年10月号 |
Thunder’N’Blade |
PC-8001 |
1989年03月号 |
GIVERS |
PC-8001 |
1990年10月号 |
Full−Fire |
〇プロになってからの作品
機種 |
ゲーム名 |
X68000 |
グラナダ |
X68000 |
ソルフィース |
MD |
エクスランザー |
MD |
新創世記ラグナセンティ |
●アイデアで勝負!Bug太郎のプログラム・タイム
1993年01月〜1994年12月に全19回に渡りベーマガ誌上で連載したコーナーです。
特定のアイデアに対して、BASICでどう実現するか?どちらかというと、アルゴリズムに
主眼をおいた内容でした。
後半になると、「Bug太郎のバグ退治」というミニコーナーもありました。
以下に、掲載号とテーマタイトルを載せておきます。
その1 |
1993年01月号 |
新しいアナログ時計を作る |
その2 |
1993年02月号 |
物体変化アニメーションに挑戦 |
その3 |
1993年03月号 |
プログラム実践篇その1 |
その4 |
1993年04月号 |
3次元グラフィックスへの道 |
その5 |
1993年05月号 |
プログラム実践篇その2当たり判定 |
その6 |
1993年06月号 |
オプション兵器の作りかた |
その7 |
1993年07月号 |
天秤ゲームにチャレンジ! |
その8 |
1993年08月号 |
緊急対談!プロに学ぶ小技集 |
その9 |
1993年09月号 |
熱血格闘宣言!(前編) |
その10 |
1993年10月号 |
熱血格闘宣言!(後編) |
その11 |
1993年11月号 |
BASICテクニック特集 |
その12 |
1993年12月号 |
アルゴリズム特集 |
その13 |
1994年01月号 |
レースゲームにチャレンジ! |
その14 |
1994年02月号 |
移動方法について考える |
その15 |
1994年03月号 |
当たり判定パート2 |
その16 |
1994年09月号 |
プロが使う仕掛けプログラム特集 |
その17 |
1994年10月号 |
敵の出現方法にこだわろう! |
その18 |
1994年11月号 |
こだわり特集その2爆発編 |
その19 |
1994年12月号 |
こだわり特集その3各種エフェクト編 |
他に、1993年04月号に、CREATOR INTERVIEWのコーナーに、カラーページ2Pに渡り登場しています。
最後に、同連載で個人的に最も興味を惹かれたその8を載せておきます。
考えてみれば、対談の相手の方も当時良く名前を聞く凄い方でした。(今どうしているだろうか?)
【 アイデアで勝負!Bug太郎のプログラム・タイム その8 】
●20年来の友人Hが語るT(Bug太郎)
Hさんからの特別寄稿です。
読み飛ばして下さいとの事でしたが、個人的に面白かったので、載せてしまいました。(爆)
XEVIOUS世代の我々からすると当時ゲームプログラマーは憧れの職業だった
訳ですが、Tは富山出身というハンデ?を乗り切り、見事に自力でその職業に就き
(その頃は素直になれなかったけれども)現在では彼に素直に敬意を持っています。
彼が作った(N-BASICのwidth40,25モードにおいての3×3で)いろんなキャラクターを
見たときは感銘を受け、私も同じようなキャラクターでゲームを作りました。
もちろん彼のオリジナルではないのですが、現在のAAの祖先のひとつといっても
過言ではないでしょう。
中高校生時代での思い出は、Tを含む友人達との事ばかりです。
(いつも一緒にいただけだったりしますが...)
大晦日〜新年にかけて徹夜でFC版「エグゼド・エグゼス」をしたときは
最悪だった、それにTは市江の手袋をどこに持っていってしまったのか。
とかどうでもいいことばっかりですが、現在の私を構成する一部となっている
事は間違いようもない事実です。
そういえばプログラミングにおける唯一の師匠だな。
(他にもマンドリンの師匠とか、Macの師匠とかもいますが...)
彼は私のためにもいろんなツールを作ってくれたりしてました。
プロ現場でのゲーム作りは当然分業になっていますので、自分の好きなことも
そうそうできないとは思いますが、
「こんなこともできるんだよ〜。」
(彼が個人で作ったWinCE用のゲームのプロトタイプを私に見せながら)
「携帯を改造してカシャーンと飛び出すように...」
(何が?)
とか彼のコメントを聞くと、父親となった今でも当時からあんまり
変わってないなと思います。
最後に最近の彼との会話から...
「会社のHP見たけど、名前が上から2番目じゃないの。No.2ってヤツか?」
「いや、ただのプログラマー」
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