裏?札幌
【 YOSAKOIソーラン祭り 】
札幌から離れている私にとって、普段は決して見ることができない>YOSAKOIソーラン
祭りについてです。第9回を基に記述しています。
●序章
ちょうど休職中で、札幌に滞在していた私は、祭りが近づくにつれて増えるTVCMで
YOSAKOIソーラン祭りが近いことを知りました。
噂で、最近規模が急激に規模が大きくなった祭りがあること。
そして、その祭りがもともと学生の手作りであったが、
最近スポンサーがついて、手作り色が薄らいでいることは知っていたが、
祭りの名前まで知りませんでした。
●違和感
初めて、TVでYOSAKOIソーラン祭りを見ました。正直、これはおかしいと感じました。
友人や親にYOSAKOIソーラン祭りについて聞いて見たが、評判は芳しくありませんでした。
親から実際にみると音の迫力が違うと聞き、自分の目で見ようと思ったが、
観覧料がかかることを知り、金銭的に苦しかった私はあっさり観覧を断念しました。(爆)
『変な祭り』と思っていたら、最終日直前に爆破事件が発生してしてしまいました!!
爆破事件が発生しても、『やっぱり!!』と感じたのは多分、私だけではないと思います。
何故、私が『やっぱり!!』と感じたのか?違和感を分析してみました。
●分析
まず、YOSAKOIソーラン祭りの歴史を調べるため、公式サイトにある歴史を見てみました。
要約すると、次の通りです。
・1991年8月、高知のよさこい祭りを見たある学生が、街に響き渡るよさこい節と
鳴子のリズム、そして、同年代の若者が活き活きと踊っている姿を見て、
北海道に再現したいと思ったことから始まりました。
・夢の実現のために、100名以上の学生が集まり、92年6月に初めて開催されました。
『純粋』
今の祭りから感じられないものがあり、共感できると思いました。
公式サイトのコンテンツをいろいろと見てみました。
気になったのは、以下の項目です。
・第5回から急激に参加者が増えている。
この辺りからスポンサーがついて規模が大きくなり始めたらしい?
・1次審査−>2次審査−>ファイナルコンテストの順で、チームを振り落としている。
要は、上手なチームしか踊ることを許さない。競争の要素が有る。
第1回から審査があったのかは不明。
・参加費が掛かる。一般5万円。
また、企業名の宣伝を認めること。企業チーム20万円。
祭りと宣伝が露骨に結びついていいのか?
・観覧料が掛かる。(一部)
桟敷席
大通会場:2000円(税込・桟敷席ブロック指定)
北海道厚生年金会館:1500円(税込・全席自由席)
普通、祭りを見るためにお金を取られる?
・やがてはリオのカーニバルに匹敵する世界規模の祭りを目指しています。
規模拡大を目指していることが分かる。
しかし、規模拡大に伴う質の向上、問題は考えているのだろうか?
この言葉に、違和感を感じたのは私だけだろうか?
・経済効果を紹介している。
今回の経済効果は、約200億円。
なんか、お金に関わる記述が多い・・・。
・「第10回YOSAKOIソーラン祭りをみんなで考えよう!」フォーラムが開設されている。
1.審査のあり方について
2.地域の中のチームのあり方について
3.その他
いろいろ意見があるが、否定的な意見が多い気がする。
祭りの方向性を考える上で必要なコーナーだと思いますが・・・。
・YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
学生と企業それぞれの委員会の関係は?よく判らず・・・。
●結論
正直、観光客の立場から見て、もう一回見たいとは思いません。
現状、観光客を呼び寄せるイベント化しているのに、未だに祭りを名乗るのは何故だろう・・・。
確か事件の後、ニュースで実行委員長?が、『来年も事件に負けず継続する』と
宣言していましたが、今のままでは間違いなく、
事件は再発する恐れはあるし、YOSAKOIソーラン祭りを嫌う人間
(私も含めて)がますます増えると思います。
祭りの方向性が見えません。祭りの冠をとって、お金を取って観光客に見せるイベント化するか?
もう一度、原点に戻って、祭りとしての純粋な楽しさを追求するか?
少なくても、お金を取って見せるものを祭りと呼ぶのは、他の祭りに対して失礼だと思います。
わざわざ見に来てくれた観光客が滞在中に落とすお金だけで十分ではないかと思います。
まあ、北海道の経済事情を考慮すれば判らないことはありませんが・・・。
私は、下記の理由から違和感を感じました。
【 理由 】
1.お金に執着している印象が残念ながら非常に強い。
a.参加費、観覧料が掛かること。
b.スポンサー色が強く出ていること。(便乗商品が街に異常な数溢れていた)
c.企業名の宣伝を認めていること。(衣装やチーム名など)
d.公式HPで経済効果を紹介していること。(誇示している印象がある)
2.イベント色が濃く、純粋な部分を感じることが難しい。
TVで見た感じた私の印象。『踊りよりタレントのつまらないしゃべりが邪魔』(特に昼間の番組)
イベントを面白く見せようとする旧来のTV放送スタイル。
そして、参加者を落とす審査方式に意味はあるのだろうか?
祭りであれば、全ての参加者に、同じ時間踊る権利が存在すると思う。
賞があること自体、踊り手の意欲向上という面から見て、反対するつもりは無いが・・・。
頂点を決める思想自体、イベントではないか?
3.規模を大きくすることが、祭りによって良いこととは思えない。
現状のYOSAKOIソーラン祭りの規模に、運営能力が負けている気がする。
会社もそうだが、運営能力を超えて祭りを実現しても自滅するだけ。
しかし、TVから踊り手(一部除く)が純粋に楽しんでいることを
感じる事が出来たので、良い印象もあります。
今一度、原点を見つめ直して、見ている人を楽しい気持ちにさせてくれる祭りに
なることを期待します。
『全ての人が楽しくなければ、祭りではない!!』と私は思います。
●YOSAKOIソーラン祭り公式HP
ここをクリックすると、『YOSAKOIソーラン祭り公式HP』に行けます。
祭りが近くなると、このHPの提示版は荒れだしますが・・・。