休職日記

【 堕落への誘い 】

会社を退社したのは、金曜日。ということは、次の日は、土曜日+日曜日。
とりあいず、背広やYシャツ、ネクタイをクリーニングに出しにいくも、
何故か?行き付けの店が理由不明の休みだった。
同時多発テロといい、失業生活幸先は非常に悪い。憂鬱だ・・・。
週末だから、友人と遊ぶ。DCのカルトセプト2の対戦。
ちょっと前から始めていたが、これがなかなか熱い!!
ただ、これがこれから半年以上続くことになるとは、この時点では予想していなかった。

失業生活をする上で、必要なものは、現実的に考えてお金。
だから、本当は失業保険の手続きを真っ先に行いたかった。
しかし、最後の給与の確定まで、約1ヶ月掛かるという事務上の理由(本来、2週間以内)で、
「離職票」が発行されなかった。
組織が硬直化している会社だったから、予想通り発行を速める柔軟性は全くなかった。
手続きに必要な書類(他に「雇用保険被保険者証」、身分証明書)が全て揃わないため、
手続きに向かうことが出来ない。正直言っていただけない。
(ちなみに、職安にこの事を相談したら、冷たくあしらわれた。態度最悪。)
会社を辞めたら辞めたで、次の生活への準備をも妨害する元の会社。
やはり、ろくでなかったという結論は会社を退社しても変わらなかった。

分かってはいたが、退職金も異常に少なかった。基本給が非常に少ない会社だったから・・・。
ちなみに、基本給と技能給の割合が、1:2だったので、退職金は、約10万円だった。
退職金は、基本給から計算されるためである。
退職金を意識するなら、基本給の額に十分注意した方が良い。
はっきり言って、税金を払っても払い切れない程度の金額である。
終身雇用制度と退職金制度が無くなろうとしている今、奇跡的に定年まで働いていたとしても、
貰える退職金の金額を考えると、かなりぞっとする。普通の人の半分も貰えなかっただろう。
きっと60歳にして、路頭に迷っていただろう・・・。
それにしても、会社から4割、某危機が叫ばれる生命保険から6割分割して
払われるのは何故だろう?
親会社のF社。生保のA社。銀行のD行。蜜月の関係にあるからだと思う。
(全て、拡張路線で社会的に暗い話題をもたらして会社ばっかり)
このグループだから資金の運用が上手くいっているとは思えない。
後数年したら、生保からの6割分が貰えない事態になる気がする。

とりあいず、会社退社間際に依頼していた「健康保険被保険者資格喪失届」が届いたので、
「年金手帳(国民年金用)」と印鑑を持って、「国民健康保険」と「国民年金」の手続きに向かう。
区役所まで出向くとかなり面倒なので、近くのサービスセンターで行う。
隣駅の近くだが、歩いて10分も掛からないので徒歩で向かう。
書類が揃っていたお陰で、手続きはスムーズに終わった。
とりあいず、これで万一怪我や病気をしても病院に行くことが出来るようになった・・・。
お金を節約する観点から見ると、次の再就職まで、「国民年金」を払わず、後でまとめて払う方法が
あると分かっている。
しかし、払える余裕がある内に払っておかないと、後でまとまった金額を払う時に、
あまりにも膨大な額になり、精神衛生上宜しくないことになるので、
模範国民?のように金額を毎月払うことにした。

実は「国民健康保険」の代りの選択肢として、「任意継続被保険者制度」を利用する方法があった。
精神科に未だに通院している身だったし、今後も通院する事を考えれば、自己負担が
2割で済むこの制度を利用するのが、正しい気はした。
但し、仕事についている訳ではないので、精神的な負荷が極端に掛かる訳ではない。
本当に必要な時だけ行けば良い。そうしないと、毎月の医療費と薬代が馬鹿にならない。
薬が無くても、死ぬという訳ではない。
今後、2年間も元の会社と付き合わないといけないと事も精神衛生上宜しくなかった。
そんな訳で、「国民健康保険」にした。
そして、退職してから一度も精神科に通院する事はなかった。(今後は不明だが)

ついでに、生命保険も惰性で続ける。役に立った事は、今まで一度もない。
多分、今かけている生保は後数年で潰れるとは思っているが、今から保険のかけかえをしても
かなり損するのが分かっているから身動きが取れない・・・。
仕方が無く、会社の団体保険から個人契約に切りかえる。
他の生保と同様、潰れる時に救済措置があってくれと願いつつ・・・。
これも、元の会社の負の遺産として今後も受け入れないといけないと思うとかなり憂鬱だ。
気がつけば、後15年で払込みがほぼ完了する・・・。
失業中の人間が月1万も生保という名のドブにお金を捨て続けていいのか?自問自答は永遠に・・・。

お盆に休暇を取っていなかった。仕事がちょっと忙しかったから、10月の3連休に休みを付けて
帰省しても良いかな?と思っていたからである。
それまで、会社生活が持たなかった。(笑)
ちょっと時期は早くなったが、気持ちのリフレッシュも兼ねて実家に帰省する。
普段なら、飛行機料金をそんなに意識しないで、帰省する。
失業中で、少しでも料金を節約したかったので、朝1番の飛行機に乗って北海道へ旅立つ。
朝1番の4:40位の電車に乗るのは、かなりしんどいものがあった。
(事実、家に帰省した途端、昼寝してしまった・・・。(^^;)
最も安くかつ月曜日の便だったので、サラリーマンで満席状態だった。
ここにも不景気の日本の姿を垣間見ることが出来る。
暗いニュースは、帰省しても付きまとう。
マイカル小樽の母体である小樽ベイシティ開発の民事再生の申請の知らせを聞く。
再就職に向けて、景気の情勢はますます悪くなる。今、失業率5%を超えている。
ということは、20人に1人は失業していることだ。1クラスに40人いれば、
2人は失業しているということである。今、クラス会を開催しても全ての人間が
揃うことはないと思う。失業しているのが恥ずかしくいけない人がクラスに2人はいるのだから・・・。
巨人長嶋監督の退団が時代の流れを象徴し、高橋尚子が世界記録を作っても1週間で
あっさり破られる。
(本人はそのレースに出るつもりだったらしいが、陸連がリスクを恐れて中止させた。)
今の日本の現状を物語っている気がした・・・。1番になる事はこの国からもう生まれない気がした。

その後、オープンしてから暫く立つが、そごう跡地に入ったビックカメラを見てくる。
流石に広かった。ヨドバシの1人勝ち状態を崩す可能性が最も高い刺客?だけあって、
店内は多くの人であふれかえっていた。
但し、9階だけはまだテナントが入っていなかった。
そこで、そごうの運命の悲哀さを感じとることができた。
(その後、ナムコが入って全てフロアは埋まった。)
帰省中のある日何故か?ファイナルファンタジーの映画を見に行くことになった。
話は面白くなかった。CGが凄いといっても、その後見たハリーポッタの迫力と比べると
子供騙しのように思えた。所詮、お決まりのパターンでゲームを作っている会社が
映画を作っても、映画もどきしか出来ないだと思った・・・。
数は売れても、何も遊ばず(もしくは10分程度)お蔵入りするケースが多いこのシリーズの
今の現状に製作サイドは気がついているのだろうか?映画を見て思わず考えてしまった。

短い帰省は終わった。帰省から数日してようやく離職票が届いた。待ち焦がれた。
早速、他の書類、印鑑、振込先口座情報を持って、職安に向かう。
ハローワークという言い方に変わっているが、自分の頭の中のイメージはやはり
中高年齢者が悲壮な顔をして集まる悲しい空間。
しかし、都心だけあって、若い学生も大勢いるし、中高年者も多い。
都会の雑踏を象徴した空間の様に思えた。
とりあいず、総合案内で手順を聞き、順番に手続きを行い、ついでに職探しの登録データに載せる。
次に来るのは、雇用保険の説明会。それまでは特にやることもなく(本当はあるのに(爆))待機。
帰りに求人票を職安に設置してあるパソコンで検索することを考えたが、
残念ながら20分待ちの状態だったので、見ることが出来なかった。無念である。
次はイベント説明会である。
要は「手続きを正しく覚えろ!」、「不正受給は絶対やめろ!」、「早く就職しろ!」というものである。
(もちろん、こんな乱暴のイメージのものではない。)
時間は結構掛かる。最初に職安の職員から30分位説明を受ける。
その後、1時間近いスライドを見せられる。
小学生の頃に見たオーバーな小芝居が光る教育物が頭に浮かんだ。
車に跳ねられて宙を舞う人形が頭に浮かぶ。「交通安全」のようなスライドだった。
最後に、受講した証明印鑑を受けて終了。
この日も求人票を検索することを考えたが、20分待ちの状態だったので、あっさり諦めた。
次に職安に行く必要があるのは、約3ヶ月(受給待機期間)後だというのに・・・。
この時点では職探しの意欲は0。<(おぃ〜
その後、何通か求人票が届いたが、近郊の職だったので残念ながら全て見送り。
心に北海道に戻る事が頭にある以上、面接を受ける訳にはいかない。まだ心身を休めたかった。
田舎の方だと、早く就職しないの?と職安の職員が親切?に話してくれる(友人談)らしいのですが、
大都会東京だけあって?そんな事はない。乾いた空気が支配しているので、そんな話を聞く事はなかった。

世の中は、悪い方向に流れている。「狂牛病問題」の発生である。また更に、景気が悪くなる。
永遠に抜ける事が出来ない蟻地獄に嵌っていく日本の姿が見える。誰も何も出来ない・・・。
大きな手続きも終わったし、就職する地域を北海道にするか?東京にするか?日々思案する日が続く。
ただ、この時点で結論が出なかった。自分が予想したより急速に色々な世の中で問題が起きた。
それが、北海道にUターンして就職する自信を奪っていったからである。
「年内は休む」と退職時に決意したのだから、焦って結論は出す必要はない。
焦れば、鬱におちる危険がある。
そもそも、次どんな業種に就きたいか?これすら未だに頭の中にイメージがないのだから・・・。

仕事をやっていないと、時間が余る。仕事をしていれば、時間は自然と無くなるものだが・・・。
毎日、どこかに出かけるという生活は、金銭節約の面から見ても決して有り得ない。
次の就職先が決まっていれば、別だろうが・・・。
部屋に一人で昼間から居ると正直暗い気分になる。休日は友人と遊べるが、平日は無理だ。
引篭りのような気分になる。(この頃、最低でも買い物で毎日出掛けるようにしていた。)
笑いが欲しい。そんな訳で、平日の昼間気持ちを明るくするため、北海道から持ち込んだ
水曜どうでしょうのビデオを、BGMの代りに使った。
「対決列島」シリーズには、この頃随分お世話になった気がする。
不幸にも?常時接続の環境があった。
退職するちょっと前から始めていたヤフオクは未だに継続していた。
まだ、この頃は金銭感覚が退職したてで、かなり麻痺していた。
月々に飛びお金がいくらなのか正確に把握していなかった。
相変わらず、レトロPC関係物を自分のHPを作る為の資料だと納得して落としていた。
とは言っても、ある程度必要なものを落としたので、無茶落としはかなりなくなったが。
昼間の時間。仕事の代りにHPをのんびり作成していた。何もしないと暇で死にそうだった。
勉強をしても良いが、次にどの職業をしたいか決まっていない状態では意味がなかった。
趣味に没頭。在職中は決して有得ない生活だ。
もし、休職経験がなければ、ただゲームで遊び時間を浪費するだけの生活を送っていただろう。
っと言ってもこのHPの内容では50歩100歩という所であるが。
この趣味の集大成?として、最終的には、某88プログラミングコンテストにプログラムを作って
応募する暴挙まで行ってしまったが・・・。(^^;
そんな事を前に言っていながら、今まで溜まっていたゲームを少しずつ終わらせることも
決して忘れていなかった。(爆)
ある時、吉野屋の牛丼が食べたいと思うのと同じ感覚で、RPGで遊びたいという気持ちが沸き、
かなり久々にRPGを解く。久々に経験値稼ぎ、ストーリで楽しんだ。
ただ、昔に比べて1人でゲームを遊ぶ事がかなり少なくなった。
対戦物ばっかり昔からやっていたせいか?相手(ライバル)がいないと燃えない体質になってしまった。

そんな不毛な時間を過ごしている内に季節は、秋から冬へ・・・。
正月に帰省するか?正直迷ったが、「おせち料理」を実家で食べたいという不純な理由で
帰省を決断する。
但し、本当の年末に帰省すると、飛行機の料金が片道3万円近くなってしまうので、
特割21の有効期間ギリギリで帰省する事にした。
帰りも特割21が再開する時期を待つので、約20日間というロングランの帰省である。
何故か?仙台に転勤した某友人と札幌で落合い飲む事から生活がスタートする。
お金もキツクなってきたので、早朝割引を利用して、ハリーポッタを見に行く。
毎年年末恒例のロボコンの全国大会も見る。そういえば、昨年は見ていなかった・・・。
クリスマスは、家で家族ののんびりケーキとチキンを食べる。
考えてみれば、働いていた時は、近くのケーキ屋で2500円位のクリスマスケーキと
モスチキンを買ってきて、一人食べる生活だった。
それに比べると、少しは華やかな生活のような気がする。
年末、仕事の納めの日、北海道の職安に向かう。何故か?友人と2人。
とりあいず、パソコンで求人情報を検索するが、数は当然少ない。関東に比べ10分の1以下。
ただ、人口は少ない。そう考えるそれなりにあるのかも知れない。
色々な仕事を見てみるが、思ったより世の中には、仕事の種類が少ない事を悟る。
確かにある業種の細かい区分では数が結構あるが・・・。
今回、自分は偵察目的だったので、求人票を細かくチェックしなかった。
ただ、友人は切羽詰まっていたので、幾つかチェックして、持返り検討したらしい。
自分ももう少ししたら、そういう立場になると分かっているが・・・。
正月は、意外と暇だ。テレビを見ても余り面白くない。まともに見たのは箱根駅伝位。
初詣に行く趣味は、個人的には持ち合わせていない。付き合いで何度かいった事があるが。
家から神社まで、数分で行けるので、わざわざ人込み紛れてお参りする思想が育たなかった。
分かっていたから、事前に対策を立てていた。DCの持込みである。
但し、ちょっと前、過酷な使用に堪えかねて初代DCは壊れてしまった。
使用する気がなかった予備のサクラ大戦仕様のDCを持込むはめになった。
数本のゲームを持込んでいたが、この期間までに断念もしくは解いてしまった。
他にPCのゲーム1本もあったが、これもあっさりと解く。
暇だからゲームを新規に買うという選択肢もあるが、お金がもったいないので、頭の中で却下した。
流石に20日は長かった。
実家に必要が全て揃っている訳ではないので、後半生活に不便を感じる。
適度の期間の帰省がやはり良いと思った。
本当は、年明け早々、実家で家探しをしようと思っていた。ただ、どの地域に住むか?
「東京で職捜した方が早いのではないか?」という気持ちも拭えなかった。
候補地は、3ヶ所位に絞ったが、優柔不断で決めることが出来なかった・・・。

帰省して最後にやったこと。彼女のノートパソコンの修復である。
ある時からハードウェアが自動認識しなくなり、コントロールパネルからセットアップ
している最中にパソコンが固まるという状態だった。
電話で状況を聞いて、想定される事は試したが、解決しなかった。
だから、帰省している内に何とかメドを付ける為、直接パソコンを見に行く。
はっきり言って、調査は難航した。OS、ハードウェアのドライバ辺りから調べるが、
特に問題は見つからない。簡易scandiskも行う。ただ、特定の操作をすると固まる。
以前から、何度かウィルスにやられているパソコンだったので、元SEの得意技?
「再インストール」を勧める。
原因がわからない場合は、クリーンな状態してから突き止めるが鉄則だと思っている。
結局、ハードディスクのフォーマットからやり直す事にした。
必要なデータをCD-Rと、Dドライブに退避した。
(本当は、パーティションがメーカ出荷状態だったので、Cドライブの容量を減らし、
Dドライブもしくは、Eドライブを新設したかったが、時間の都合上割愛)
早速、再インストールを開始する。
いきなり、ハードディスクのフォーマット中に異常事態が発生!!
ハードディスクがちょっと異音を立てて空転している・・・。
フォーマットの進捗中パーセンテージが、71%で止まっている・・・。
焦る。自分の物であれば、失敗しても自己責任なので、最悪話のネタと化すことも出来る。
これは、人のパソコンだ。壊して帰って、しかも翌日には関東に逃げる・・・。
人として、許される行為ではない。緊張が走る。久々に味わう緊張だ。いつもより強い。
とりあいず様子を見るという決断したちょうどその時、「ファイナルアンサー」という声が聞こえた。
心の中ではない。現実に。ふと、テレビに目を移す。
何時の間にか?見ていたビデオは、モノマネバトルから、クイズミレオネアの正月芸能人スペシャルに
変わっていた。声の主はみのもんただった。
こんな緊迫する場面に、あの答える時のBGMと共に聞こえると更に緊張が増すではないか!?
そんな思いを抱きつつ、フォーマットの終わりを待つ。約1時間後終了する。
やはり、異音がした部分は、フォーマットに失敗し、不良領域と化した。
但し、その後は順調にインストールは進む。今まで失敗していたハードウェアも認識も上手くいった。
その後、バックアップしたデータを復旧して作業完了。
但し、ソフトウェアは全て消したので、もう一度入れ直してくれというオチはあるが・・・。
推測だが、ある時、ハードディスクの一部が壊れ、その部分をseekしようとした時に、
パソコンが固まるようになったのだろうと思う。
ハードウェアの認識時はHDDを相当数seekしているので、バッティングしたのだろう。
勝手な結論である。(爆)
気が付けば辺りは暗く夕食を食べるには、ちょっと遅い時間であった。
久々に緊張した作業をしたので疲れていた。
近くのうどん屋で夕食を食べたが、いつもより美味いと思った。

色々な思いを抱きつつ、帰省生活は終了する。
雪印食品の牛肉買取制度悪用問題。産地偽装問題等、世間の情勢は相変わらず暗い。
気がつけば、コンビニやファーストフードを利用する機会が在職中に比べて激減した。
簡単な料理であるが、自炊する機会が増えた。自炊した方が、一日の食費が安くすむからである。
そして、この時期から、数年振りに簡易家計簿を付けるようになる。
ここまでにかなりの金額を失っているから、少しでも金額の減りを抑えたいという
気持ちが芽生えたからである。
あれから、3ヶ月・・・。受給待機期間の終わりが近づいてきた。
そして遂に、念願の受給認定日を迎える。といっても約7日分だが。
「失業認定申告書」と「雇用保険受給資格者証」を持って職安に向かう。
片道150円の電車代も痛い情けない状態だが、この日は失業手当というニンジンを貰えるので、
余り金銭的痛みを感じなかった。
手続きは、職安が指定した時刻に向かい、緑の箱に書類を入れて待つだけ。
書類に不備がない限り、そのまま受領される。特に何か言われる事はない。
審査?待機中にパソコンで求人票を検索するが、特にこれ!?という求人はなかった。
流石に北海道よりは求人数は多いが、小企業の情報の多さが目に付いた。
結局、手続き完了約20分ちょっとで終了。思ったよりあっけなかった気がした。
そして、数日後、金額が振り込まれていることを確認する。久々にお金が増えて気分が浮かれる。

信長の野望嵐世記を買ってから一年後にプレイして解いたある日、決断する。
「当初の希望通り北海道で職を探す。時期も良いだろう。」
3月位に引越しを行えば、極端に寒い時期を避けられる。
今住んでいる場所にちょうど1年というキリの良い年数で退去出来る。
4月〜5月位で就職出来れば、雪も解けて奇麗な気持ちで就職出来るだろう。
友人の学校生活も終わる時期だし、色々な意味でキリが良いと思った。
本来は、就職先を決めてから戻るべきではあるが、焦って職を決める気はなかった。
とりあいず、生活拠点を捜す事にした。
休職時代に買った札幌の食べあるきマップ(爆)を見て、候補地にあるスーパーやコンビニ、
ファーストフード、紹介されている店の種類を調べる。
再就職して、最も重要なのは、食である。一人暮らしなので、夜遅く仕事で帰宅して
何も食べるものがない事態だけは避けたい。
結局、近くにみよしの(餃子屋:貧乏人の味方)と、モスバーガーがある某地下鉄沿線に決める。
(引越の下見後、モスバーガーは、結構遠くに移転する。かなり痛い!!)
他にも理由はある。知人の近くに住むと毎週怠惰な生活を送りそうで怖かった。
だからあえて、知人と距離を置く物件を選んだ。だから、この地域に対する予備知識はない。
地元と言っても、札幌全域が遊びの範囲ではない。市としては、全国で指折りの広さを持っているし。

早速、ネット上で物件を検索する。
良さげな物件を発見するも、残念ながら決定済。公開から3日経っていたのが敗因だった。
去年の経験からも、ネットに提載されている情報は、公開日に問い合わせないと
引越しシーズンに入っている今、まずありつく事が出来ない。
とりあいず、電話で不動産屋に条件を伝え、条件に合う物件をFAXして貰う。
どれもひとくせあるが、無職で今の時代部屋を探すのは辛い。
家賃滞納の問題があるからである。
しかも、失業中の身分なのに、捜している物件は、何故か?1LDK以上。
今住んでいる所よりも予算家賃は安いのだが、それでも北海道では贅沢の部類に入る。
何回か電話でやり取りした後、住居候補が決まった時点で、再び北海道へ旅立つ。
正月に帰省した時に決断していれば、往復の飛行機代は浮いたのが仕方がない。
実家をホテル代わりに、実際、物件を見て決める。当初の予定とは違う物件であったが。
(後で周りの環境で後悔することになるとは、夢にもこの時点では思っていなかった。)
ただ、実印を作っていなくて、印鑑証明を取るのにかなりあたふたしてしまったが・・・。
(前の物件は、住民票だけあれば良かった。保証人も不要。)
そして、住居を決めている最中に行っていた将来のXPインストールに備えてHDDのパーティションの
変更及びソフトウェアの再インストール作業も何とか終わる。
(DirectXのバージョンアップでOSが不安定になる。(涙))

色々と問題が起きたソルトレイクシティオリンピックを見ながら、引越し業者を決める。
流石に長距離の引越しである前回の引越し(梱包手伝い込)の2倍以上の見積もりになる。
安く済ませるには、混載便を使うか日通のコンテナ便を使えば良い事はわかった。
それでも、10万円を切る事は出来ない。
洗濯機や冷蔵庫等一人暮らしに必要な電化製品一式全て揃っている。
前回の引越しで荷物を捨てたとはいえ、その後オークションで数々の戦利品を入手したため、
荷物はかなり増えてしまった。
安価な単身赴任パックを利用出来る荷物の量ではなかった。
多分、最後まで友人と遊ぶ日々は続くだろう・・・。
だから、安価なコンテナ便で荷造りを全て自分で行う事は選択出来なかった。
数万高くなるが、荷造り込みのプランを選択するしかなかった。
(コンテナ便と比べると5万円近く高い・・・。)
電気、水道、ガス、電話、郵便、住民票等の手続きも終わらせ、こうして引越し準備は完了した。

もちろん、その間引越しの準備だけを24時間やっていた訳ではない。
確かに、この事に集中したかった。対引越し鬱対策として、HPの更新の休止を決断したが。
その間、ある方から依頼を受けた8801用テープのデータを復元を行っていた。
思っていたよりテープの状態が良かったせいか?波形をeditする事態には陥らなかった。
引越し自体、極秘にしている。今も知人に連絡は入れていない。
知っているのは、彼女と良く遊び友人と家族(保証人として)位なものだ。
はっきり言って、再就職して生活が落着くまで、自分から連絡を入れるつもりはない。
例え、暇で狂い死にそうになったとしても・・・。
でも、一部には、ばれてしまった。
結局、約1年振り位に地獄の?徹夜麻雀で送別されることになってしまった。
引越し前日まで、気力を振り絞ってコントローラを握り(馬鹿)、カルトセプト2の
対戦生活も終え、引越し前日を迎える。
残りカスの気力で、部屋の清掃と、最後の荷造りを行う。
全ての準備が終わり、明日約9年間東京での生活も終了するが、感慨は何も沸かなかった。

そして、迎えた引越し当日。朝早くから引越し業者が来て、次々荷物を運び出し、トラックに積む。
あっという間に荷物は無くなった。去る時というのは本当にあっけないものだ。
今朝、一時閉鎖を決行したHPのように・・・。
ただ、北海道に戻る便までは時間がある。友人の学校は卒業式まで休みだった。
不動産屋に鍵を返した後、友人の家に直行する。結構重たい荷物を持って・・・。
友人の家で、時を待ち、上野駅へ向かう。
上京する時に利用した北斗星に乗るためである。
就職時から、北海道に戻る時は、北斗星と決めていた。
上京する列車の中では泣いていた。
列車が発車する直前に泣き出した彼女の顔を思い出す度、胸が痛く・・・。
それからずっと、「いつか北海道へ戻る」という思いを片時も忘れず会社で働いてきた。
それが、今日実現する。就職を決めてという形ではないが、腹をくくっての帰道である。
涙はない。かといって、笑顔でもない。B個室の中で、持込んだ本を読みながら
次の進むべき道を考えていた・・・。長い乗車時間の間・・・。


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