休職日記

【 離反 】

GWは、帰省した。しかも、無断で・・・。(おぃ
この週に引いた風邪が直らない・・・。GW中に連絡すれば、状況が状況なだけに
保険という意味でGWに呼び出されるのは目に見えている・・・。
何も考えたくなかったし・・・。作業が残っているのはVB画面でこけている
外注さんだけだ・・・。客観的に見て、上司1人いれば十分だろう・・・。
自分に言い聞かせて、帰省を強行した。
昔の自分であれば、プロジェクトの進捗状況が気になり、電話一本を入れ、
状況によっては、休日返上で出ていった気がする。
しかし、そんな気にならなかった。別にプロジェクトからの呼出しもなかったし、
(GWの後半に電話が入っていたようだが・・・。)自分から蟻地獄へ戻る気はなかった。
休職して復職して、約8ヶ月。取り戻した客観的な感覚と会社内の異常な感覚。
その狭間で、会社に疑念を抱いていた。しかしそれは、昔から抱いたものと違った。
「会社を辞めること」を現実的考えたものだった。

「6月にまだ存在するボーナスを貰うと同時に辞めても良いのではないか?」
これは、今までボーナスを貰う度に考えてきた事だ!!(笑)
「会社を辞めてからどうする?」
この事を考えると現実に引き戻される。収入が暮らすことは出来ない。
少ない貯金が尽きれば、路上デビュー(爆)することになる。
この不景気で、次の仕事が見つかる保証は当然どこにもない・・・。
何時と違うのは、「この先、ここで本当に働き通せるのか?」という疑問に対して、
今の自分の年齢を考えて、結論を出さないといけない時期に来ていることだった。
これ以上働く続けると、転職、再就職が難しくなる年齢になる。
ただ、今回は、「今年の誕生日を迎えると失業保険で貰える期間が増える。」という
安易な理由で、考えることを保留した。(爆)

帰省して過ごしたGWは余り印象が残っていない。心にある疑念が引っ掛かり解放
された気分にはならなかったから・・・・。
GW明けからの仕事の状況は、正直いって芳しくない。
外注さんの状況は、相変わらずだった。再び現地に張付く日々が続く。
ただ、自分には気を貼って作業することのものはなかった。
在っても、社内の別プロジェクトのプログラムの細々したものを修正する位しか・・・。
楽しみといえば、昼時に食べる数少ない食堂で食べる海の幸位なものだ。
ただ、最終的には、何故か?うどん中心の安価な生活になった。
出張先での生活が長いので流石に海の幸に飽きてきたので・・・。
(当時、1食1000円ちょっとが平均。普段の倍の食費が・・・。)
今回で、プログラムを引き取らず外注に全てやらせる方針だったので、
現地にいても、大してやることもなく、GW前と比べるとかなり暇だった。
いわゆる監視要員なのだから・・・。
たまに、夜の食事を宿で食べられるようになっただけ、生活環境はましになったが・・・。

月日は流れる。たまに現地に行くだけで済むようになった頃、不景気の影響も有り、
特にやるべきことは無くなっていた。ただ、万が一に備え、今のプロジェクトに
ぶら下がっているだけの状態だった・・・。
毎日、定時で帰れるし、自分の勉強をしているだけの生活だった。
その状態は、非常に楽で良いのだが、同時に会社に仕事が無くなっていることを痛感する。
去年の話も聞いていたが、この季節になると、それなりの数の人間がそういう状態になる。
今までは無かった事態である。ただ、秋から冬にかけては逆に人手不足になる。
会社(含む親会社)が、無造作に拡張路線を走ってきたツケだと思った。

引越ししてから、3ヶ月位経っていた。初めて、今の街を落ち着いて見れる日々が来た。
3ヶ月も経つのに、未だに新居に慣れた感覚がない。
実際、出張して出かけている時間が長かったから・・・。
家にいた時間が皆無だったことが影響していると思った。
3ヶ月経って、家にいる時間が多くなり初めて、車の振動で家が揺れることが分かった。
普通車は問題ないが、トラックが通ると地震が起こる。
初めの内は慣れなかった。正直、眠れない日もあった。
人間の順応能力とは恐ろしいもので、あっさりと慣れるもので、眠れる日々は戻った。
眠れないと、また悪夢の日々が蘇るのだから・・・。
それでも、土日に音量目一杯で走る車の騒音だけは、今でも慣れることはないのだが(笑)

過去最低額のボーナスも入り、次のちょっとしたお手伝い決まった頃から、
押し殺していた感情が現実の情勢と照らし合わせた抑えきれなり始めた。
無意識の内に蓄積された新居での生活の疲労も表面化し出してきた。
精神科へ通院する日々は相変わらず続いている。会社の現実と自分の今の状態とのギャップに
悩んでいる自分を見て、悪魔の囁きを唱え始めた精神科医・・・。
この頃からカウントダウンは既に始まっていた・・・。


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