休職日記

【 疑問 】

引越しがようやく終わるとほぼ同時に、お客さんの所に出張に行くことになった。
これは、前から決まっていたことだし、引越し作業のごたごたで、肝心の仕事も
遅れ気味だった。実際、テストまで終わっていなければいけなかったのだが、
本当にこの方式で行けるのか?調査するのにとまどったのが原因だった。
流石に保守も行われていない10数年前のワークステーションと最近のワーク
ステーションを繋げるかは、プロトタイプを作って確認するしかなかったのだから・・・。

他の所の進捗も芳しくないことを知っている状態での不安を抱えての出張だった。
昔は、お客さんのところに搬入する時には、自分でもプロジェクトとしても大丈夫と
いう確信はあったが・・・。モラルハザードが起きている今、そんな状況で行けるのは
凄くスケジュールに余裕があるプロジェクトだけである。
しかも、今回のプロジェクトは始めから時間内に終わる計算が立っていない。
「地獄が待っている・・・」その思いが現実のものになった・・・。

序盤は、自分の所が完成しないとデータが取れないのだから、周りより
自分のところを動かし、品質を高めることを重視していた。
しかも、プログラムテスト(おぃ から初めているので、手直しする個所が
結構ある。しかも結合テストと兼ねて行っているので、仕様書と違うI/F
もあり、正直えらい目にあった。
それでも、ある程度の品質まで持っていたのだが、データの送り元が
かなり難航していることが判明し、そっちも手伝うはめになる。
それをしないと、運用開始時にデータが流れないのだから大問題になる。
そこに関しては、細かい内容まで関知していなかったので、聞き込みとプログラムの
解析を行い運用開始までになんとか乗り切った。(といっても正常系だけだが・・・)
とここまでなら、大したことない話だが・・・。

真の問題は、運用開始後起き始める。
1つは、仕様漏れやデータの計算間違いである。これに関しては、お客さんとの取決めが
アバウトだったので、現地で実際に出ている値等を元にこうしようと決めるはめに・・・。
不足分は当然現地で作るはめになる・・・。しかも運用中に・・・。
でも、これはまだ大した話ではない。お客さんの理解を得られていたのだから・・・。
もう1つは、外注さんに依頼していたものが、かなりボロボロになっていて、
収拾不可能な状態まで追い込まれていたことである。
これは、かなり痛かった・・・。この事が自分そして会社として作業が終わっても
暫く、現地に行く羽目になる原因となったのだから・・・。

作業者としての当初の自分の責任作業は、運用開始から1週間以内で終了した。
しかし、同じ会社のもう1つのプロジェクトが終わっていないので、ヘルパーとして
手伝う日々を送り、今のプロジェクトで終わっていない部分を手伝い、そして外注さんの
プログラムをチェックする日々が続いた。
気がつけば、20日休みがなかった・・・。
しかも、途中片道6時間以上掛け、精神科に通院する住家に戻る日もあった。
受診後、すぐ片道6時間以上掛け現地に戻るのだから、肉体的に疲れる。
当初は、お客さんの公務員残業制限で早い時間に帰れたのだが、作業が間に合わない
現実の前に撤廃される。鍵を預かり、深夜に2〜4時まで作業をし、朝8時半に
作業を開始する生活が続く・・・。
食事もコンビニ中心の栄養のバランスが偏る生活になる・・・。
以前、似た生活は、2ヶ月休み無しで経験したので、精神的には余裕はあったが、
体は悲鳴を上げた・・・。休職の原因となった「胸の痛み」が再発したのだ・・・。
耐え切れなくなり、客先で数時間横になって安静したこともあった・・・。

そんなある日、夢を見た。「自分が若い頃抱いて会社で働く姿を・・・」
「馬車のように働き、会社の1つの部品と生きる事を望んだのだろうか?」
会社に対して客観的に物事が見るようになってから半年、ずっと心の中で気が付いて
いながら、押し殺していた疑問が頭を擡げる・・・。
ゴールデンウィーク直前、風邪でダウンし、数日休む。まだ、外注さんの作業が
終わっていないのに、1人だけ疑念を振り払うため、疲れを取るため、1人北へと旅立った。
でも、その疑問は消えることはなかった・・・。むしろ心の中に大きなウェイトを占めていった。
そして数ヶ月後、私の人生にとって大きな決断をすることになる。


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