休職日記

【 あれから1年〜復職半年〜 】

ふと気が付けば、もう3月。そして、休職した日は3月13日。
あの悪夢から気がつけば、1年の時が過ぎていた。
まずは会社。復職当初に感じたレベルダウンは解消されない。
改善される兆しは全くない。
社内では確かに改善するために色々と意味のない運動をやっている。
会社主体で行なっている運動ではあるが、所詮課長以上の自分の考え方、エゴを
押しつけているだけの運動である。
方向性は時代に流れに沿うように考えているつもりでも実際には時代に逆行している。
平社員が会社に対して不満を持つが、景気が悪いため仕方が無く在籍している状態では、
当然成果は望めない。本音も言わないので、良い方向に向かわない。金の無駄である。

親会社のグループ企業独立化政策により、家の親会社も4月に独立することになった。
(これは、一般新聞の経済面にも載っていた。)
管理職クラスの人達には、感慨深いことらしいが、平社員には全く関係ないことである。
それに伴い、家の会社の名称も4月に変わる。
という事は、今年2度目の名刺変更が発生するということである。
(この年、後2回名刺が変わった。変わり過ぎ)
しかし、中身は何も変わらない・・・。ネーミングセンスは安易だし。
ただ、電話で会社名が言い難くなっただけである。

この半年数ヶ所プロジェクトを点々としたが、管理という2文字に出会うことはなかった。
家の会社では数が少なくなったプロジェクト管理者は、(親会社に強制連行され
有能な人は本当に少ない。人材交流という美名ではあるが・・・。)
はたから見ても同情出来るほどの数のプロジェクトを抱えされ、土日休むこともなく働いている。
私的には、会社の方向性が産み出した犠牲者だと思っている。
個人の能力を超えた数の複数掛け持ちなので、当然全てを管理することは出来ない。
結局メンバーの自主性(個人の能力)にまかせるしかない状況になる。
進捗報告の数字を鵜呑みにしているだけなので、品質の管理は行なわれていない。
表面上の数字の管理だけなので、メンバーは管理されていないといって良い。
「金を払ったのだから全て完璧にやってくれるのが当たり前」という考え方が
家の会社のプロジェクトリーダの中に浸透している。
でも、それは完璧に出来る環境をきちんとお膳立てしてあげた上での話である。
自己満足の範疇では完璧に行なっているつもりいるらしいが、客観的な目で見ると
単に仕事を丸投げにして放置しているだけである。
そのように考えないとやってられない体質には、多いに疑問がある。
そんな上司の姿を見ると、私を含め若い社員がこの会社で有能と評価されたいと思わない。
ただ会社にコキ使われるだけの人生を送ることを誰も望まないと思うから・・・。

その犠牲者を産み出した管理職のレベルの低さは、閉口してしまう。
問題点を上げても、「人がいないのだから自分で解決しろ!!」という言葉以外聞いた記憶は
今までない。
事前に危険性を報告しても進捗上意味はないが、後で事態を言い訳をする身の防衛のために
問題点が報告される。
メンバーが明らかに足りなくても補充することは出来ない。
メンバーが補充されるのは、赤字が出るほど燃え上がった時か期日内に納品出来なかった時だけだ。
日本特有の誰かが犠牲にならない限り、重い腰を上げない。悪しき官の慣習を引きずっている。
未然に防ぐという思想は一応あるようだが、問題を見抜く目がなければ意味はない。
結局、最悪の事態を招いて、「何をやっているんだ!!」という一喝した後、ようやく事態の収拾に動く。
その結果、余計な赤字を増やすことになるのだが・・・。
最も、ISO9001の承認に対しても日常茶飯事で目暗判が平気で押される会社だから、
嘆いてもしょうがないのだが・・・。
でも、このレベルの管理なら赤ん坊でも出来るのではないか?
怒られてへらへらするだけの精神力があれば良いだけだから・・・。能力は関係ないし。
こんな感じの人間が、管理職として大勢いる会社になっていたことをこの半年で身を持って痛感する。
レベルの低下、そして、その原因の一端をこの半年で痛感してしまった。

対外的には、変革を訴えている会社だが、内面は古い体質から脱却出来ていない現実。
どんなに残業をしても残業代が全額出るのだけが救いの会社になっていた。
(これで残業代の支払い制限が出たら、社員の半分は辞めるだろうな・・・。)
心の中に生まれる哀れみの感情。会社の将来性の無さを絶望する感情。
昔は他社の社員から憧れられる雰囲気を持っていたので、何を間違ったのだろうか?
そんな思いを抱きつつ、やはり復職当初の予定通り、夏のボーナスの季節には
会社から去ることになる気がする・・・。


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