休職日記

【 決断 】

今回の仕事は、某F社製Webチャネルパッケージを使用した某ADSLの受付けシステムの
お手伝いである。と言ってもプログラムの手伝いではなく、操作マニュアルの作成であるが・・・。
このパッケージ自体、社内の席の側の会議コアで散々揉めていた曰く付きのものである。
完成度がかなり低いということは、毎日聞こえてくる怒声が証明していた。
そのパッケージを利用したシステムだから、簡単にカスタマイズして終わるはずの
作業であったが、今回のシステムに対応するための機能が無かったり、バグがあり
使いものにならない等の理由により、画面仕様さえ正確に固まっていなかった。
遠い昔に、半年位お手伝いした(させられた)某T○Sの放送システムの操作マニュアル作りの
悪夢を思い出しそうな状況だった・・・。
このプロジェクト、親会社の人1人で、外注さんを管理し、毎日あちこち火消しの打合せに
奔走していたので、頼まれた仕事をこなしても、疑問があっても、捕まえて話を聞く事さえ、
非常に難しい状況だったので、仕事を完了させるのが難しかった。。
とりあいず方向性を決めて、作業を行い、完成した資料をメールで送って後はチェックして
もらうという方法で責任逃れをしてしまった・・・。(爆)
こんな方法で仕事をしては、後戻りの作業が大量に発生すると分かっているのだが・・・。
どんなに神経を使っても人の考えていることは十人十色だから・・・。意思疎通を図れなければ・・・。
内心、こんな事で良いのか?と思いつつ・・・。

適当な仕事。パートナーは前回から引続き同じ上司だったが、別件で忙しかったので、
ほとんど1人で作業を終わらせる。作成中のシステムだったので、開発者から効率良く
ヒアリングをするのが、ちょっとだけ辛かったが、誰にでも出来る仕事だった。
むしろ興味は、YahooADSLが発表されたばっかりで、価格で強烈なインパクトを
与えた時期だったので、その1ヶ月後にADSLの申込みを開始しても人が集まらないのではないか?
そんな疑念であった。
(ちなみに今回担当したのは、結構有名な接続業者で、現在BIGLOBE、NIFTY等にまとめてコースがある。)
結局、仮電話受付を始める直前まで、その時のシステム状況及び電話受付オペレータ達の要望に
臨機応変に対応しながら、マニュアルを作るはめになったのだが・・・。
このシステムで印象に残ったのは、電話受付オペレータの頑張りだけだった。
後は、現地(厚木)は、片道1時間半以上掛かり通勤が非常に辛い!ということだけ・・・。
何も技術面で収穫はなく。次の仕事が決まるまで、ただ飼い殺されただけだった。
次の仕事は何時までも決まらず、決まった頃には、マニュアル作りでどうしても
抜けられない時期だったし・・・。

次の仕事は、某新聞社の印刷システム制御だが、これも既存のシステムの改造である。
但し、自分の担当分だけは、何故か?新規作成・・・。
仕様自体は難しい話ではないが、RS232C経由で、Win機に正規対応していない(主にUNIX系で使用)
某F社のモデムを使って通信出来るか?という所には、重大な懸念があった・・・。
色々調べながら、作成したので、ぎりぎりで完成させたが、最後にモデム間通信で、
異常な頻度で文字化けが発生して嵌まった・・・。
(結局、最後まで完全な形で解決は出来ず・・・。(爆))
久々にWIN系をやれたのは収穫だったが、過去の経緯から気持ちが乗らないまま
仕事をしたせいで、仕事が雑になってしまったのは、今でも反省しているが・・・。

前回のシステムから今回のシステムに移るまでの経緯で、会社に対して今までにない
不信感を抱いていた。
将来を考えた時、土曜日、日曜日に仕事に出るのが、美徳とされ、馬車のように会社に
使われるのが、当たり前で、上司もそれが当たり前と思っている会社風土。
数年は、体が持つかもしれないが、将来的に今の上司の立場になったら、体を壊し、
社会復帰出来なくなることは、誰の目にも明白であった。
「もう少しで復職してから1年か・・・。」
1年前、1年間は今の会社に居て頑張ってみようと思っていた。
裏を返せば、1年後に結論を出すと心に決めていたということである。

そんな事を考えていたある日、親会社本体の人員削減話が出た。半導体部門の話ではあるが・・・。
親会社から続く無責任な体質。個人のスキル頼りで組織としてノウハウがない体質。
フレックス制度のメリットを考えず、たまたま来た朝1番の電話で担当者が居なくて、お客さんに
怒られただけで、子会社も含めて、全社フレックス制度廃止に向かう意思のなさ・・・等。
8年半も会社にいれば、色々な不満はある。書いたらキリがない。我慢すべき事は我慢した
つもりである。でも、数年後の会社の将来、自分の将来に疑問が生まれた以上決断しなければ
ならなかった。

復職してちょうど1年。キリが良かった。年齢もキリが良かった。北海道に帰りたいと
いう気持ちを抱えたまま、これ以上会社の奴隷として働く理由はなかった。
体をもう一度壊す前に今の会社から脱出したかった。不景気でないと会社を辞めるまで、
半年近く引き止められるのは、過去会社を辞めていった人の話から分かっていた。
だから、決断した。今後の人生を振り返った時、間違いなくターニングポイントとなる
「会社を退社する」という決断を・・・。


Return