休職日記

【 遊々人生 】

寮に戻っても、会社の面々と顔合わせする以外、大きなイベントはなかった。
考えてみれば、こっちにいても、仕事に忙しくて人と会う気力がなかった生活が
数年続いていた。はっきり言って遊ぶより寝かせろ!!そんな生活だった。
だから、寮に戻る前に決めていた。「今まで会う機会の友人とも会う」と・・・。
「善は急げ」?ということで、寮に戻った翌日から早速に実行に移す。
考えてみれば、季節は、冬から初夏に変わっている。
当然、時は流れている。そのことを痛感することになった。
札幌に戻っている間に、某所に引越し新しい道を歩み始めた友人。
引越し先におじゃましたのは、今回が初めてだった。
考えてみれば、今まで住んでいたところから家までの距離はかなり近くなった。
以前は片道3時間掛かっていたのだから・・・。(片道料金は1500円位・・・)

導かれたように、会社では数少ない友人と会う。何故か?平日の昼間だった。
なにやら、プロジェクトに対する不満が溜まって、怒りの無断欠勤らしい。(おぃ
最も、無断欠勤に関しては、自分も同じ要因で何度かやっているが(爆)、その友人は真面目だ。
無断欠勤のプロ?から言わせるとやるべきでない。仮病で会社に電話しておいた方が無難だと、
ろくでもないアドバイスだけは送ったが・・・。
その後、その友人はストレス発散のため、某ゲーセンへ旅立ったが・・・。
会社の中の人間関係は、更に悪化しているのか・・・。正直、気持ちが暗くなった。
ここまで酷くなっているとは、流石に予想していなかったが・・・。

某所で会った友人。会社帰りの待ち合わせだったが、正直驚いた。何故か?花束を持っていたのだ。
理由を聞くと、今日会社を退社したという。えっ!更に驚いた。まさかそんな日に会うとは
夢にも思っていなかった。次の会社が決まっているということでほっとしたが・・・。
次の会社名を聞いて更に驚く。
会社名こそ出さないが、ある意味最も安定して稼いでいる某社だった。超有名企業である。
結局、適当に食って喋って解散したが、心の空洞を感じた。自分は何をしているのかと・・・。
寮に戻って、たった数日間でこれだけの人間模様を見てしまった・・・。
今の自分には、その全てを受け入れるほど心の余裕はなかった・・・。

その後も相手の都合がさえ会えば遊ぶ日々が続く。
凄く、久々に秋葉原に行ってみた。探していたものがあったからだ。
何時もなら、近所で済ませるが、近所では売っていないものだからしょうがない。
前来たのは確か、自作パソコンのための部品調達のためだった。
入社した当時は、純粋に電化製品を探しに来たのだが、秋葉原の店並みの変化に伴い、
行く目的は変わっていった。
若い頃は、会社の同僚や友人とパソコン関連の品物を探すついでに、良くゲーセンへ行き、
対戦格闘で遊んでいた。秋葉原へ行くのが楽しい時期もあった。
しかし今は、ごく稀に行く程度となった。
急に増えたアニメ系の店に行く趣味は無いし、特に秋葉原で無くても必要なものは入手出来る。
ふと考える。気が付けば、えらく長い時間が流れていたと・・・。
仕事に嵌められ、時間を無駄に浪費していたのだと、秋葉原徘徊中に何故か?悟ってしまった。

お金をかけない遊びも復活する。
毎度毎度、何処かに出かけていては、働いて収入を得ている訳ではないので、生活が辛くなる。
幸い、まともに?働いている時に、買ったが遊ぶ暇が無くて遊んでいないゲームが溜まっていた。
それを利用して飲食物を持ち込んで遊ぶ。実際には、物を食って喋ることがメインなのだが・・・。
ちなみに、寮に会社以外の関係者が入るのは厳禁なのだが、誰も守っている人はいない。
はっきりいって、入居人数が多過ぎるし、課が違えば、同期以外の人間はまず知らないと
いう会社だから、この人が会社の人ではないと証明するのは難しい。
だから、気にせず友人を呼ぶことが出来る。
但し、新人研修中の新人は、友人を呼ぶのは難しい。
昔は、狭い6畳の部屋を1人で使っていたのだが、今は何を血迷ったか?
研修中は、6畳の部屋を敷居もなしで2人暮らしすることを強要される。正直気の毒である。
話は大きく逸れたが・・・。家の会社がおかしな方向に逸れ出した事例の一つである。
郵便受けで1ポストに2人の名前を見る度、憂鬱な気分になる。
今の精神状態では、決して触れてはいけない事実の1つである。

だからといって、寮で遊んでばかりでは、気が滅入る。
たまには美味しいものが食べたくなることもある。
数年(本当に何年振りかは忘れてしまった)振りにとある友人と会うことになり、
会社からひと駅離れた某駅の近くで、酒を飲みつつ愚痴をいう場があった。
お互い容姿がすっかり変わっていたので、正直、一目見ただけでは解からなかった。
違う世界を生きてきた人と話をするのは、非常に新鮮で楽しい。
ただし、自分は人生のレールをあちこちで脱線しながら、辛うじてここまで生きていた人間だ。
正直、20歳で人生を終わらせるつもりだった。今は惰性で生きている。
だから、人生のレールに乗り、もう直ぐ結婚をする友人の境遇と、今の自分の境遇を比較すると
ちょっとだけ憂鬱になった。自分は長い時間何をやっているのだと・・・。

こんな感じで、最初の産業医に会うまで、2日に1度は人と会って遊ぶ日々を過ごしていた。
今、考えるとこの頃は絶好調だった。その先に待つ受ける困難と比べれば・・・。


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