休職日記

【 新しい一歩 】

長かった札幌での生活も終え、寮に戻ることになった私。
飛行機に乗り、空港から最寄り駅まで運んでくれる少し値段の高いバスに乗り、
久々に住んでいる街に戻った。
3ヶ月位なら出張という名の拉致で寮を離れることはあった。
しかし、今回はいつもと状況が違うので、何か特別な思いを感じていた。
今までの場合、そんなことを感じるほど余裕がなかったという過去の事実はあるが・・・。
寮へ帰る。他の社員は当たり前といえば当たり前だが、平日の真昼間、人のいる気配はなかった。
ちなみに管理人もいない。
結婚している社員から希望を取ってなりたい人がいれば、管理人になることが出来るのだが、
誰も希望者はいない・・・。全社合わせると社員が1000人以上居るにも関わらずだ。
家賃優遇や手当が出るなどそれなりに条件は整っているが、約80人近く社員が寮にいるので、
特に奥さんの苦労が半端でないのは誰もが解かっている。
仕事で会社に殺されている上に、奥さんの愚痴などで貴重なプライベートの時間まで
潰されては堪らない・・・。
会社に対して誰も忠誠を誓っていない心が荒廃した会社だからリスクを冒すものはいない。
だから、管理人不在の状況は既に2年位続いている。でも実生活では影響が少ない。
普段は仕事をしているし、土曜日曜も仕事していることが多い。
ただ、宅配便など荷物を一時扱ってもらうことが出来ないことだけは不便に感じたが・・・。

郵便受けを見る。ゴミ(広告)が沢山入っていた。直ぐ、郵便受けの側にあるごみ箱に捨てた。
その中から公共料金等の領収書等は救出した。
数ヶ月分の明細を見て、使ってもいないのに基本料金だけ取られる(当たり前だが)のは
勿体無いと思ってしまった。(貧乏症)
玄関の前にやってきた。札幌に帰る前に新聞の購読を中止したので、比較的奇麗だった。
ただ、何故か?宅配便の案内が扉の隙間に挿してあったので、中身を見ると、
「ドリームパスポート3」の配達だった。日付を見ると4月だった。
思わず、不在していた時間の長さを感じてしまった・・・。

久々に見る部屋。札幌に戻る前にかなり整理したため、荒れた様子はなかった。
ただ、不在期間が長かったので、机などに塵が乗っていたが・・・。
最も整理し過ぎたため、荷物が札幌から戻ってくるまではテレビ位しか娯楽のない
寂れた部屋となっていたが・・・。
殺風景な部屋でふと考える。
どんなに会社で切迫する事態があっても、直ぐ仕事に復帰することは出来ない。
少なくてもこちらで、北海道で過ごしたように気持ちを安定させた規則正しい生活が
出来ないと、休職原因となった事態を再現することになる。
これは、札幌のお世話になった精神科医に真剣な口調で言われたことだし、
会社にも明確に伝えてある。もちろん大事なことだから既に了解を得ている。
時間はある。今まで有得なかったことだ。
折角の機会だからこっちでも有意義に使いたいと思った。

会社の産業医及び会社の上司に会うのは、明後日。
復職の方法、自分の状況を確認する重要な場であるが、特別な感慨はない。
一番に気にしていたのは、「こちらでどのようにリハビリを継続するか?」である。
現時点で、通院先は決まっていなかった。
そして、迎えた会談の日。家の会社は、2箇所に分かれている。
入社の時にどちらの勤務を希望するかで運命が決まる。
オフィスで働くか?工場で働くか?仕事の内容は基本的に一緒だが、環境が違う。
自分は、オフィスの方の勤務だが、会談の場は、工場の方だ。
というか?産業医は、工場にしかいない。オフィスにも昔、産業医が居たのだが、
何時の間にか?いなくなってしまった。
(体調が悪くて久々に風邪薬を貰いに行こうと思った時に気がついた・・・。)
そこで、総務の人間と担当部長(この時初対面)と産業医と4者面談を行なう。
様子を聞かれたが、いつも通り適当にお茶を濁して(おぃ)、復調した姿を見せる。
相手は、話し方のふてぶてしさに、体調の復調を感じたらしい。(爆)
話は雑談が中心で、時間も短かった。特に記憶に残すべき話はない。
重要な話は、2週間後と4週間後に再び産業医と会い、産業医の判断で、
復職日を決定することだけだった。
ちなみにこの時点で、通院すべき精神科が決まった訳ではなかった。
次回の産業医の面談の時までに産業医の心当たりを調べ、決定することになった。

少なくとも1ヶ月の猶予期間がある。8月には復帰すると思っていた。
しかし、札幌で見た水曜どうでしょうのように、シナリオ通りに上手く運ぶことはなかった。
ここでも、いろいろな事態が発生するのであった・・・。


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