休職日記

【 88エミュとの出会い 】

去年の正月休みに某友人に依頼していたことがある。
『PC−8801のエミュレータを探して出して欲しい。』
ログイン誌のUNDERGROUND世界のコーナーに存在していると、
情報があったし、冬に現実NEORAGExに触れてこりゃ凄いと本気で
思っていたし・・・。彼とその周りの友人達であれば、探し出せると思い依頼した。
快諾してもらった。今年のGWに楽しみが1つできた。

確かに本来は、自分で探し出すべきであるが、その当時は環境がそれを許さなかった。
会社は、何を血迷ったか?寮にあった電話、2000年問題直前の11月に撤廃してしまう。
(現実、2000年で私に連絡を取れずに困っていた。先見の明なし。)
携帯電話でネット上を探すのは、正直お金が掛かるし、外で、灰色の公衆電話で何時間も
探すのは恥ずかしいものがある。
パソコンも貧弱だった。
まだ、IBMのMMX166Mzのディスクトップに、前プロジェクトと苦楽を共にした
戦友PJ−1であった。
探し出してもらったにもしても動作環境が十分とは思えなかった。
そして最大の問題はやはり会社。ここ数年会社の中ではワースト1のプロジェクトばかり
転戦していたため、仕事が始まってしまえば、考える時間があれば寝た方が得策。
そんな生活だった。趣味に割ける時間なんか存在しなかった。
この先、ワースト1のプロジェクトに転落するのは誰の目に明らかだった。
(00/11/11現在、某所で缶詰されて休みなしで強制労働中。(恐)残業軽く200H超え)
(しかし、今いるプロジェクトもかなりやばいですぅ。(水泳銀メダリスト:田島選手風))
そんな状態だったから、GWに奇跡的に帰れれば真剣に考えれば良いとしか思えなかった。

そして、月日は流れた。結局、倒れ札幌に流れついた。
そんなある日、依頼した友人から『PC−8801のエミュレータをGetした』との
情報があり早速見に行く。
しかし、動かし方が分からなかった。(汗)
メニューは全部英語だし、マニュアルが存在した訳ではなかった。
私もエミュレータに触れて起動されるのが、この時が初めてだった。
(数年前にMAMEを動かそうとして解らず断念した経験があるが・・・)
その時、サンプルとしてあったソフトは、『アンジェラス』。
ふと、昔の記憶が過った。
実機ならディスクを挿してリセットして再起動すればいい。
メニューに、DISKとRESETの文字がある。考えた通りやって見る。
動いた。
結局、オープニングを見ただけだが、正直、感動した。
Windows上で88のゲームを再び動くの日が来るとは思わなかった。

結局、そのまま持ち帰り。
そして詳細を調べてみる。HTML形式のマニュアルがあったので読んで見た。
BIOSイメージは自分で吸い出さないと著作権違反。(爆)
しまった。これ貰いものだ。
そして、マニュアルにあったホームページに飛び更に詳しい情報を得る。
どうも、5インチFDか232Cのケーブルがあれば、BIOS及びディスクの吸い出しが
出来るらしい。幸い実家にはまだ88は健在だ!!次の日物色しに街へ出た。

街で結局、RS232Cケーブルを買ってきて、BIOSを吸出しと実家にあるディスクを
イメージ変換した。
(詳しい話は、88のエミュコーナーを見て下さい。)
しかし、私のやることにはどうもオチがつくらしい。
やっている途中。お気に入りのゲームの一部が無くなっていた。
親に聞いてみた。
『適当に一部捨てた。』
親捨て。確かに実家に離れて数年の月日は流れていた。
しょうがないので、周りの友人にメールで一斉送信して問い合わせてみた。
やはり、皆親捨てにあっているらしい。
確かに一般人は、今から10年以上前の機械で遊ぼうと思わない。
しかし、持っている人は持っている。
結局、自分の手元と某友人のものを約1週間半まるまる費やして
ほぼ全てイメージ化に成功した。

この2週間、ちょっとは遊んだ。しかし、疲れるのが早い。温泉にも行った。
88エミュに興奮していたせいか?寝るべき時間に床について眠れない。
だんだん体力が落ちるし、生活のリズムもおかしくなってきた。
気がつけば、次の精神科受診直前だった。
それは新たな波乱への序章だった・・・。


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