休職日記

【 非日常から日常へ 】

無意識のプレッシャーから解放された(と思込むようにした)自分は、
平穏に日々で過ごすことに成功した。
体にあの悪夢のような激痛が走ることはなかった。
心に不安が走ることもなかった。
気が付けば、誕生日を迎えていた。
来年になったら、1の桁切捨てて20代という言い訳が通用しない。(爆)
その日、彼女に時間が無いのを承知した上で、自分の心の整理を付けるため
無理言って食事をした。
考えてみれば、仕事をサボっるか会社を辞める以外
札幌にいる可能性は限りなく0%に近いのだから・・・。
次の機会は何時になるか正直言って予測は付かない。
今、非日常だから可能性があっただけで日常に戻れば・・・。
ちょうど、その頃だった。
こっちで診察を受けていた精神科の院長から寮に戻っても大丈夫だろうという
許可を貰ったのは・・・。
それは、非日常である札幌の生活の終わりを意味し、日常である寮の生活に
戻ることを意味していた。

(といっても仕事に復帰する訳ではないので、まだまだ非日常だが・・・。)

会社に連絡し、面談する日程を相談する。
しかし、家の会社は融通が全く効かない。
結局、話合いの日程は、約3週間後に設定させた。
正直言って、間隔が空き過ぎである。
その間に、万が一が起きる可能性は否定出来ない。
予防として、寮に帰る直前にもう1回診察を入れた。
もう、後戻りは出来ない・・・。
非日常の快適な生活を満喫出来るのは後少ししかない・・・。
残り少ない日々を友人達と会うことに使うと同時に、
復職に向けて、数ヶ月全く思い出す事もなかった仕事の知識のリハビリを開始する。
しかし、体が拒絶した。(爆)
1時間もしない内に、具合が悪くなった・・・。(おぃ
仕事に本当に復職出来るのか?不安になったが、楽観的に考えることにした。
深刻に、神経質に考えれば、以前の状態に戻ることが今回の経験を通じて
解かっていたから・・・。

気が付けば、最後の週末を迎えていた。
『傷病手当金』と『傷病手当附加金』の余りを利用して買った
暇つぶし兼ね勉強用の本や雑誌の数々。QOHで遊ぶためだけに
買ったPS・SS用ジョイステック+パソコン接続用ポート等。
実用的なものから単なる暇つぶし用のものまで、何時の間にか
物が増えていた。長い事札幌に居たことを改めて実感する。
実家に転がり込む時に寮から送ったパソコンやミニコンポと一緒に梱包する。
梱包が終わると、約3ヶ月半の札幌での生活を実感する。
「次は会社を辞めてこっちに就職しない限り、この生活は有得ない。」
そんな寂しい思いが心を支配する中、寮に戻る前日、念のため予約しておいた精神科に行く。
これがこちらでの最後の通院だった。
正直、下手な医者だったら、今の自分は居ない。
心が壊れた生きた屍を化していたかも知れなかった。
父親の知り合いの担当医(院長)だったので、安心感も今考えると非常に大きかった。
ここまで、体の変調が無く、無事この先頑張れそうな事を告げると、
嬉しそうな顔をしてくれたのが、印象的だった。

その後、無意味にエネルギーが余っていたので?、強行スケジュールで、
お世話になった友人、彼女に会うという離れ技を演じる。
今回の件で、本当の意味で、いろいろと助けてもらった人に、
面と向かって礼を言うのは、白々しいというか恥ずかしい。
だから、今回の事態が発生する前と同じように接することで、
安心させることにした。(本当に感謝しています。)
なお、会社は、金銭面とかの助けはあっても、心を助けるものではないから
正直、感謝という気持ちという気持ちはなかった。
自分の心、体への仕打ちに対する代償を金で払っただけという感覚を
戴いていた。(今の会社が嫌いという心が原因だが・・・。)

2000年06月27日(火)、天候は既に忘れた。(爆)遂に寮へと戻った。
明日放送される「水曜どうでしょう」を見損なったのを心残りに・・・(おぃ

そして・・・。気が付けば、もうすぐ7月だった。
ク−ラーなしでは、人が暮らせない寮へ戻っていた・・・。
でも、実際に復職したのは、9月1日・・・。
ということは、約2ヶ月の空白期間がある事に・・・。
その2ヶ月に何があったのか?それは、第2章で解明される!!(と思う(爆))


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